
STORY
院長これまでストーリー
STORY 1
活発な子ども時代。担任と合わず、いったん足踏み
小さい頃から体が大きく活発。球技が得意で、放課後は近所の神社で上級生と野球をしていました。両親が教員だったこともあり、小学4年生までは成績も上位でした。しかし、5年生の担任と合わず、成績が下がってしまいます。当時は「先生は絶対」という時代で、何も言えず1年間を過ごしました。6年になっても成績は伸び悩みました。
STORY 2
祖父の姿を思い出し、歯学部進学を決意

中学は近くの公立へ。軟式テニス部に入り、今ならパワハラと言われそうな指導を受けました。ただ、顧問の先生が人間的に尊敬できる方だったので続けられました。この頃から得意科目が数学や理科になってきて、将来は理系に進むと自然に思っていました。
高校では大きな目標はなく、男女問わず友達が多くできましたが、仲良しの男子3人で遊ぶことが多かった記憶があります。高校3年になると大学進学を意識しだし、担任から歯学部の話を聞いて目標を明確にしました。もともと祖父が徳島県で歯科医院を営んでいて、幼少期その姿を見て育ったこともあり、「歯医者になる」と自然に口にしていたので、歯学部進学を決意しました。
STORY 3
手先の器用さから歯科医療の興味を深める
大学入学後、初めての県外一人暮らし。入部した野球部の先輩に良くしてもらって楽しく過ごしました。3年になると専門分野が始まり、手先が器用だからか入れ歯や矯正ワイヤー曲げなどは誰よりも早くできて、歯科医療への興味が深まりました。 5年からは実習と試験続きで、単位取得に必死。6年では卒業試験に向けて夏以降は1日10時間勉強しました。おかげで1回目の試験で合格でき、追試までの1ヶ月は友人宅で飲むなどして遊びました。この頃には矯正の道へ進むことを決めていたと思います。
STORY 4
苦労も多かった研修医、大学院時代
研修医時代は、免許はあっても知識・技術ともに未熟。アルバイトもできず親の支援を受けながら修行を積みました。矯正の研修では毎晩遅くまで同期とワイヤーを曲げ、朝は診療や教授の講義準備、学生実習の手伝いなど、ほぼ雑用の毎日でした。

翌年から大学院へ。4年間の学生生活が延長されました。最初の2年間は非常に楽しかったものの、3、4年時は実験と論文に追われ、何度も辞めたいと思うほど。それでも親に顔向けできないと睡眠時間とメンタルを削って実験・論文に取り組みました。
大学院卒業する前、上司から「卒業後は大学へ残って後進の指導を」と依頼され、そのまま大学職員に。4年後、主任教授が退職し、新任教授が着任したことをきっかけに、教授職を目指していたわけではない自分は大学を辞める決心をしました。
STORY 5
激務だった勤務医時代。矯正が癒やしの時間
大学退職後は知人の先生の医院で勤務医に。朝9時から昼休憩1時間を挟み、夜20時までほぼ休みなく働く日々でした。矯正専門だった頃とは異なり、一般診療のハードさと院内の空気の悪さを痛感しました。矯正の患者様を任されていた時間だけが癒やしで、スタッフからも「先生は矯正の時は楽しそうですね」と言われたほど。3年ほど勤めたものの、「自分の色を出したい」「もっと丁寧な治療をしたい」との思いから、妻の助けを借りながら開業準備を始めました。
STORY 6
「一緒に治そう」の姿勢を持って患者様に接する
2008年12月、愛知県豊田市で開業。開業後は前職では経験のなかった症例に出会うことも。未知の症例も多く、驚きつつも一人で何とか対応しなければなりませんでした。その経験をもとに、本を読んだり、講習会に参加したりする時間も増やしました。

その中でも「家族・スタッフ・患者様、関わるすべての人を幸せにする」を目標に掲げ、”院長が一番働く”という姿勢を貫いてきました。次第に地域の人にも受け入れられ、息子や娘の同級生が検診や治療に来てくれるように。授業参観の時に笑顔で寄ってきてくれたのはうれしかったですね。
診療スタイルが以前の「やらされている」感覚から、「一緒に治そう」といった姿勢に変わってきているように思います。確かに対応が難しい患者様もいますが、穏やかで誠実な治療を心がけ、大きなストレスはありません。















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